公益財団法人結核予防会新山手病院は、昭和14年に開設された結核療養所「保生園」を前身としています。結核の治療には清爽なる環境が欠かせないため、多くの療養所は郊外の人里離れた場所を選んで設立されました。当時の結核治療は長期におよび、文字通り社会から隔離された生活を送る方々にとって、療養所はサンクチュアリであり、そこからはサナトリウム文学をはじめとする、独特の文化、芸術が生まれました。
医療の進歩は、結核を不治の病から治癒可能な疾患に変え、療養されていた方々も社会に復帰されました。そして平均寿命も延伸し、多くの結核療養所が住宅地に包み込まれ、市中病院化していきました。
しかし八国山緑地に抱かれた当院は、いまだ当時の面影を残し、院内の池にはカワセミが美しい姿を現し、初夏になればオオルリのさえずりを楽しめる環境に恵まれています。また、家庭的な看護も、良き伝統として、その維持に努めています。
その一方で、医療に対する社会的要請は多様化し、当院も平成元年に新山手病院と改称した後は、循環器病センター、消化器病センター、結石破砕センター、放射線診療センター、リハビリテーションセンター、歯科口腔外科センター等を加え、COPD等の呼吸器疾患はむろんのこと、がんなどの新たな国民病とも向き合える体制を構築してきました。
さらに平成26年には整形外科の常勤医も赴任し、外傷、脊椎疾患等の運動器疾患にも対応できる複合病院としての姿が整いつつあります。しかし、専門分化の著しい今日の医療においては、単独の病院で全ての分野を網羅することは容易ではありません。そこで、当院では最先端の技術を有する専門病院とも積極的に連携し、症状に応じて最も相応しい治療を提案できる体制の構築を目指しています。
病院は風景の一部であると感じます。めまぐるしく移ろいゆく社会の中で、当院もその姿を変えてきました。しかし、その時々で最も苦しんでいる人々に寄り添い、心から共感し、ともに病の克服を目指すという基本理念は、国民病としての結核に御心を傷められた香淳皇后陛下より令旨を賜り、東洋一の結核療養所を目指してこの地に開設された当初から変わっておりません。これからも地域医療に貢献していくために、全力を尽くしたいと考えています。